7月7日は七夕。

 

病院の待合室に、短冊とお飾りをつけた笹を飾ることにしました。

ちょうど良い竹の枝を調達するのに、みんなで知恵を絞ることに。

裏の谷津山には幾らでも竹は生えていますが、

持ち主がいるので、勝手に取るわけにはいけません。

「谷津山は竹が生え過ぎて困っているので、小さい枝を切ってくるくらい

いいんじゃないの?」

という意見も出ましたが、院長が竹をかついで、谷津山から降りてくるところを

近所の人に見つかったら、ちょっとまずいので却下。

スタッフのミーちゃんの実家が郊外にあって、笹を持ってきてくれるというので

お願いしましたが、枝がやや細めで立たせられません。

 

そこで、近くの石川園芸店に時節がら売ってないか、問い合わせてみました。

売ってはいませんでした。

ところが、15分程して、園芸店の奥さんが手頃な竹の枝をどこからか切ってきて、

病院に届けてくれました。しかも、無料でした。感謝、感謝。

 

その竹の枝で作った七夕飾りが下の写真です。

 

たなばた2010.2.jpg

 

結局、スペースがなかったので、立たせることができず、

受付の天井に横に寝かせて、飾りました。

短冊には、それぞれのお願い事を書きました。

 

スタッフがお飾りを作っているのを見ながら、

七夕の起源について、思いを馳せました。

何で笹なの?

いつからの風習なの?

天の川、織姫と彦星、一年に一回の再会の意味は?

 

ちょっと調べてみました。

 7月7日はもともと中国の節句の1つにあたり、

日本では豊作を祈るお盆行事として慣習化したようです。

笹は精霊が宿る木と考えられていたのです。

 織姫と彦星の伝説は、中国の漢の時代の古文書に初めて出てきますが

まだ、七夕との関わりは定かではありません。

南北朝時代になって、7月7日が織姫と彦星が会える日と明記されたのです。

 

この二人の伝説は次のようです。

 

昔昔、天帝に織姫という娘がいました。

織姫は機織りがたいそう上手で、5色に輝く美しい布を織ることができました。

年頃になって、働き者の牛使いの彦星と結婚をし、幸せな生活を始めました。

 

ところが二人の仲があまりに良すぎたために、

織姫は機織りをしなくなり、彦星も働かなくなりました。

見守っていた天帝でしたが、ついに怒りを爆発させ、

二人の間に天の川を流し、会えなくさせてしまったのです。

織姫は彦星に泣きながら別れを告げ、天の川の東に帰って行きました。

彦星もまた悲しみのうちに、故郷である天の川の西に戻って行きました。

 

天の川はとても広くて、二人の声も姿もお互い見ることができず

思いは募るばかり。

織姫は再び機織りを始めましたが、涙が出てきて仕事ははかどりません。

彦星も寂しさで仕事に手がつかず、田畑は荒れていくばかりです。

 

見かねた天帝は、

織姫が一所懸命機織りをして、彦星が仕事に精を出すなら、

1年に一度だけ、天の川を渡って二人が会うことができるようにしたのです。

それでも、七夕が雨の日は天の川の水量が増して、二人は橋を渡ることができません。

 

それからというもの、

笹の葉に短冊をつけて、七夕の日に雨にならないよう願いをこめるように

なったのです。

 

この伝説が七夕飾りの風習の始まり、ということですね。

 

病院の短冊には、

病気の動物達がみんな治るように願いを込めました。

                               有仁