症例・・・猫(アメリカンショートヘア) 13歳 去勢オス Bw3.0kg ラン(仮名)
プロフィール・・・5歳頃に尻尾を掴まれたことをきっかけに、機嫌が悪いと飼い主(奥様)を突然咬むようになり、その時に他院で、前足、後足全部の「爪切除術」と「犬歯切断」を行った。
マンションの7Fでの室内100%飼育
主訴・・・以前は6kg近くあった猫で、ここ数カ月で食が細くなり、
痩せてきたが年のせいと思っていた。 数日前から食欲、元気なく、時に吐く。
2日前にお腹が膨れていることに気づいた。
血液検査: HCT 33.7%↘ WBC 4700↘ Glu 69↘ BUN 63↗ Cre 1.4
T-pro 4.6↘ Alb 1.8↘ CPK 791↗ 他項目正常範囲
レントゲン検査: 消化管内(胃、小腸、結腸全域)に多量のガスが貯留
合わせて腹腔内にも気体の存在が認められる・・・気腹症
VD像(背腹像)において、右腎臓を取り囲むように気体の存在が明確に確認できる。
応急処置として、腹腔穿刺により450ccの気体を排気しました。この気体は無臭でした。
胃及び腸内のガスは同様ですが、処置後、腹腔内の気体は排除できました。
気腹症は重大な問題を抱えている場合が多い為、ランは当日から入院になりました。
翌日、再び腹部が膨満し642ccの気体を腹腔から排気しました。やはり無臭の空気のような気体でした。
対症治療と腹腔排気により、気分が良くなったのか、餌を欲しがるようになりました。
原因追及の為、問題点をリストアップしました。
1、ココ数か月にわたる体重減少・・・慢性疾患
2、HCT 33.7%↘軽度貧血・・・慢性疾患
WBC 4700↘白血球減少 Glu 69↘低血糖症・・・消耗性疾患?
BUN 63↗ Cre 1.4・・・脱水
T-pro 4.6↘ Alb 1.8↘低蛋白、低アルブミン血症・・・肝疾患?腸疾患?
CPK 791↗筋組織の炎症?
3、腹腔内への気体漏出・・・どこからの漏出か?
* 腹腔内の遊離ガスの原因・・・腹部臓器の穿孔や破裂、服壁の貫通創、開腹手術後。
コメント: マンションの7Fで室内100%同居猫は居ない為、交通事故やケンカによる咬傷はありえません。開腹手術はもちろんしていないし、消化管の穿孔なら臭いがありそうです。
開業歴28年になりますが、このような大量の腹腔内遊離ガスを経験したことはありません。
そこで、画像診断の専門医にアドバイスを求める為、至急にレントゲンフィルムを麻布大のS教授に送りました。S教授は1年間で数千枚のフィルム読影をおこなっている放射線専門医です。
翌日、S教授から直接電話をいただき、読影結果は「胃の穿孔(穴が開いている)が疑われる」というものでした。S教授はこのような気腹症を5例経験し、そのうちの3例は胃の幽門部の腹背部の穿孔だったとのことでした。
その日のうちに飼い主のMさんに連絡し、胃穿孔が考えられるが異物摂取の可能性をたずねても心当たりがないとのことでした。
胃穿孔であれば、一刻も早く外科手術が必要なので、その旨を説明したところ了解が得られ、直ぐに
開腹手術を実施しました。
上腹部を中心に大きく切開をしました。
腹腔内にはやや赤味ががった腹水が貯留し、腹膜炎が示唆されました。
検査の為、腹水を採取しています。
胃を確認すると、胃体背側部に大網が癒着した出血部分が見つかりました。
癒着した大網を剥がすと、穿孔部位が確認されました。
ガラス探子を穿孔部位に挿入しています。
写真は膵臓です。粟粒大の肉芽腫様の増生所見があり、充血も見られます。
穿孔性腹膜炎の影響でしょうか?
腸間膜リンパの腫大があり、腸管のしょう膜面も炎症を起こしていました。
穿孔部位を中心として2cm径で胃の部分切除をしています。
ガラス探子で穿孔部位を示しています。
切除できたところです。
吸収性縫合糸で、縫合を始めています。
連続二重縫合ができました。
腹腔内をしっかりと大量の生理食塩水で洗浄した後、服壁を縫合しています。
皮膚の縫合も終わりました。
終了直後で、まだ目が覚めていません。
切除した穿孔部分の胃壁です。
同時に部分切除した膵臓組織とともに、病理組織検査を検査センターに依頼しました。
病理組織学的診断:
胃: 穿孔性潰瘍
膵臓: 腹膜炎
胃壁全層が欠損して穿孔した潰瘍が認められました。腫瘍性病変は認められず、悪性所見は有りません。なお、胃しょう膜面、腸間膜脂肪織及び膵腹腔面の一部には穿孔性潰瘍が原因と思われる腹膜炎が認められます。
膵臓の一部には新鮮な出血も認められますが、膵腺房構造は保たれ、構成する細胞にはいずれも異型性はありません。
コメント: 胃潰瘍から悪化した胃壁穿孔ということが判りました。穿孔が原因する腹膜炎も起こり、膵臓にも腹膜炎が波及していました。
この胃潰瘍がいつ始まり、穿孔がいつ起こったのかは不明ですが、体重減少との関連は疑われます。
猫にもストレス性胃潰瘍があるのではないか?
この疑問を麻布大のS教授にもぶつけてみました。答えは「YES!」でした。
ランの犬歯です。
これは折れたのではなく、犬歯が手術で切断されています。
また、硬口蓋にクレーター状に2か所潰瘍があります。
術後に、ここからの出血が断続的にありました。
ランの前足、後足の爪はすべての指で写真のように抜かれています。(爪切除術)
プロフィールでも記載しましたがランが若い頃、 尻尾を掴まれたことがきっかけで攻撃的になり、奥さんを咬むようになったことから、犬歯切断と爪切除手術をしたのです。
爪がなくなると、人間にとっては引っ掻かれなくなる、爪とぎでの家具や柱の傷がなくなるなど都合が良いのですが、猫にとってはどうでしょう?
思い切り走れない、高い所に登れないなど毎日の生活で常に精神的ストレスがかかりそうです。
この継続的ストレスが胃潰瘍を起こし、胃穿孔まで進んだとしたら・・・・。
あくまで推測ですが、爪切除の功罪は真剣に考えなくてはなりません。
ランは、術後食事もとり、比較的安定していましたが、口腔の潰瘍からの出血が断続的に続きました。
術後6日目に退院し、食欲もそこそこあったようですが、7日目に飼い主が留守の時に突然亡くなったとのことでした。死因は判明できませんでした。
慎んでランの冥福を祈ります。
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